密門 宥範(みつもん ゆうはん、1843年〈天保14年5月5日〉 - 1926年〈昭和元年〉)は、高野山真言宗の僧。管長。
金剛峯寺385世座主。無量寿院門主。高野山大学総理。大和国十市郡(現:奈良県田原本町)出身。
生涯
大和国十市郡(現:奈良県田原本町)の島谷家で生まれ、初名は鶴松で、後に雄範浄房と号し、さらに密門宥範と改名した。
1873年(明治6年)に光台院に入り、1878年(明治11年)に高野山大学林の教師となり、1900年(明治33年)に一等教授に就任する。
1901年(明治34年)1月に無量寿院の門主を経て、1906年(明治39年)より金剛峯寺385世座主に就任する。座主の任期中には女人禁制を始めとする高野山における禁忌の全てを全廃する山令を下した。
1915年(大正4年)5月16日、真言宗連合総裁に就任するも同年6月11日に金剛峰寺座主・連合総裁の辞表した。(大正9年)、高野山大学総理を務めた高野山大学に密門が設立される。
1926年(昭和元年)、死去。
脚注




