中川 久成(なかがわ ひさなり)は、江戸時代末期の大名、明治時代の日本の政治家、華族(伯爵)。
豊後国岡藩の第13代(最後)藩主、同藩初代(最後)知藩事、貴族院伯爵議員を歴任。
略歴
嘉永3年(1850年)8月4日、第12代藩主・中川久昭の長男として生まれる。明治2年(1869年)9月23日、父久昭の隠居により、家督を継いだ。同時に藩知事に就任した。明治4年(1871年)7月の廃藩置県で免官された。明治8年(1875年)7月、司法省に出仕する。明治9年(1876年)10月、退職する。
明治17年(1884年)に伯爵に叙された。明治23年(1890年)7月10日、貴族院議員に選ばれて、死亡するまで在職した。明治30年(1897年)5月3日、48歳で死去した。
栄典
- 1873年(明治6年)12月8日 - 銀盃一組
- 1884年(明治17年)7月7日 - 伯爵
家族
- 父:中川久昭(1820年 - 1889年)
- 母:豊子 - 加藤泰済の娘、中川久教の養女
- 正室:潔子 - 押小路実潔の娘
- 養子
- 男子:中川久任(1871年 - 1935年) - 浅野懋績の八男
脚注



