島津 修久(しまづ のぶひさ、1938年(昭和13年)2月6日 - 2024年(令和6年)12月31日)は、島津氏第32代当主。島津義弘から数えて15代目にあたる。株式会社島津興業代表取締役会長。

島津顕彰会会長。鶴嶺神社宮司。照国神社宮司。平松神社宮司。社団法人茶道裏千家淡交会鹿児島名誉支部長。薩摩古武道影之流顧問。元鹿児島経済同友会代表幹事。元鹿児島県公安委員(長)。元西郷南洲顕彰会会長。元薩摩琵琶同好会会長。

経歴

島津氏第31代当主・島津忠秀の次男(兄の忠敬は早世)として、東京府(現在の東京都品川区)に生まれる。公爵島津久光の玄孫にあたる。母は近衛文麿の長女・昭子(野口昭子)。

学習院初等科を経て1956年(昭和31年)、学習院高等科卒業、一浪ののち、中央大学法学部法律学科入学。中央大学卒業後も司法試験の勉強を続けたが、1965年(昭和40年)に島津興業でアルバイトを始め、28歳の時、同社に入社した。1990年に同社社長、2001年に会長、1993年からは照国神社の宮司も務めた。

2024年(令和6年)12月31日、急性肺炎のため鹿児島市内の病院において死去。86歳没。

人物

修久は、吉良義央の墓のある東京・中野の万昌院で12月14日に営まれる法要に参加すると共に、鹿児島の島津家別邸・仙巌園(世界文化遺産)にある供養施設(観音岩)でも翌日に供養儀式を行なっていた(慰霊式は神道)。2014年(平成26年)には、民のために治水に尽くした者を「義士」として顕彰する県「薩摩義士顕彰会」会長に就任。薩摩藩家老・平田正輔らを「薩摩義士」として祀る平田公園の薩摩義士頌徳の慰霊祭には、岐阜県・愛知県など木曽三川の関係自治体も参加している。また、島津興業が所有する旧集成館の世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」登録にも尽力した。

系譜

  • 妻の伊津子は西郷隆盛の曾孫(午次郎の長男隆一の長女)で、1967年(昭和42年)12月に結婚した。結婚式の仲人は大久保利通の嫡孫・利謙が務めた。長男は島津忠裕。
  • 第125代天皇明仁、徳川宗家第18代当主の徳川恒孝ははとこ、細川護煕元首相、近衛家現当主の近衞忠煇、俳優の東隆明はいとこにあたる。
  • 身体教育研究所所長・野口裕之は異父弟にあたる。

著書

  • 『海の見える峠道』誠広出版、1986年4月。 
  • 『島津歳久の自害 増補改訂版』島津顕彰会、2000年10月。 

編著

  • 『島津義弘の軍功記「惟新公御自記」について』鶴嶺神社社務所、1981年6月。 
  • 『島津金吾歳久の自害』平松神社社務所、1982年8月。 
  • 『島津義弘公と茶の湯 惟新様より利休え御尋之条書』島津顕彰会、1986年10月。 
  • 『旧福昌寺墓地御由緒』島津顕彰会、1988年。 
  • 『磯島津家玉里家御墓概要』島津顕彰会、2012年7月。 

脚注

参考文献

  • 朝日新聞鹿児島総局 編『薩摩の殿』南方新社、2008年10月。ISBN 9784861241437。 

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