大関 増恒(おおぜき ますつね)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。下野国黒羽藩6代藩主。
略歴
貞享3年(1686年)11月19日、大関増栄の世子・増茂の庶長子として生まれる。
父が早世したため、増栄が元禄元年12月13日に死去すると、翌元禄2年(1689年)1月14日、4歳でその跡を継いだ。1月18日、祖父・増栄の遺物である相州行光の刀を献上した。元禄9年(1696年)10月28日、江戸幕府5代将軍・徳川綱吉に御目見し、宝永6年(1709年)3月7日、従五位下・信濃守に叙任する。
元文3年(1738年)3月25日、次男・増興に家督を譲って隠居した。宝暦7年(1757年)10月8日、得翁と号した。
宝暦9年(1759年)1月17日、江戸藩邸にて死去した。享年74。
系譜
父母
- 大関増茂(父)
正室
- 戸田忠章の娘
子女
- 大関大助
- 岩 ー 北条氏貞正室
- 大関増興(次男)
- 大関増満
- 小出英孫
- 加藤泰広正室
- 平野長賢正室後に金田正峯継々室
- 娘
- 秋元長継
- 大田原清位室
- 増山正柱室
脚注
出典
- 『寛政重修諸家譜』(六百五十八)
- 『大関黒羽家譜』




