蔣 尊簋(しょう そんき)は、清末民初の軍人。中華民国の初代浙江都督。字は伯器

事跡

1900年(光緒26年)、日本に留学する。1904年(光緒30年)に陸軍士官学校を卒業した。翌年、東京で中国同盟会に加入し、宣伝部長に任じられた。

帰国後の1906年(光緒32年)、浙江新軍第2標標統に任命された。以後、第1標標統、弁目学堂総弁、教練処幇弁、浙江講武学堂総弁を歴任している。その後、広西省に転勤し、1909年(宣統元年)、広西参謀処総弁に就任した。1910年(宣統2年)、広東省に異動し、広東混成協協統に就任した。

1911年(宣統3年)10月、広東革命派が武昌起義に呼応すると、蔣尊簋は都督府を組織し、軍事部部長に任命された。後に一時は都督代理をつとめている。1912年(民国元年)1月、浙江省に戻って浙江都督兼民政長に就任し、2月には章炳麟・張謇とともに統一党を組織した。

この当時、浙江省内では、蔣尊簋らの日本留学士官派と、南京陸師・保定速成等の国内卒業士官派との派閥争いが激化していた。同年7月、蔣尊簋は国内卒業士官派の朱瑞に追われる形で、浙江都督を辞任した。

1914年(民国3年)6月、蔣尊簋は袁世凱から宣威将軍に任命される。1915年(民国4年)、袁世凱が皇帝即位を宣言すると、蔣尊簋は蔡鍔らが起こした護国戦争(第三革命)に呼応する挙兵を浙江省で行い、袁世凱討伐に動いた。1917年(民国6年)、護法戦争に参加する。民国10年(1921年)5月、非常大総統となった孫文の下で広州軍政府参謀次長に就任した。

その後、国民政府においても職歴を重ねる。1931年(民国20年)、汪兆銘が蔣介石に反対して広州で国民政府を樹立すると、蔣尊簋は汪兆銘を支持して広州国民政府委員となった。しかし同年8月、蔣尊簋は死去した。享年50。

参考文献

  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。 
  • 朱宗震「朱瑞」中国社会科学院近代史研究所『民国人物伝 第8巻』中華書局、1996年。ISBN 7-101-01504-2。 

春秋早期 芮公簋(正面) 台北故宫博物院馆藏古玩图集网

商代晚期至西周早期 乳丁夔纹簋(图3) 台北故宫博物院馆藏古玩图集网

簋|奈良国立博物館

先秦书法书法空间——永不落幕的书法博物馆

民国时期滇、黔、赣联军第一路司令官代理参谋总长蒋尊簋赠二等褒章一枚_北京诚轩 2009 秋季拍卖会_北京诚轩_拍品价格_图片_拍卖专场_拍卖会