山吉 豊守(やまよし とよもり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。上杉氏の家臣。越後国三条城主。

略歴

大永5年(1525年)、山吉政応あるいは山吉政久の子として誕生。『山吉家家譜』によれば天文21年(1552年)4月、父・政久の隠居により家督を継いだとされる。

永禄末年から御奏者として上杉謙信の側にあり、関東の諸豪族や後北条氏とも折衝した。天正年間の『上杉家軍役帳』では、家中筆頭の軍役数377名を持った。謙信の越中国出陣の際は、春日山城の留守居を務めた。

天正3年(1575年)同5年(1577年)頃に死去。嫡男・盛信が家督を継ぐが間もなく急死したため、盛信の弟・景長(景盛)が跡を継ぐが、相次ぐ当主の死と景長が若年のため、減封のうえ木場城に領地替えとなった。

脚注

出典

  • 『山吉系図』
  • 『上杉御年譜』
  • 『山吉家家譜』
  • 『上杉家軍役帳』

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山内容堂 youdou yamauti 山内 容堂 / 豊信(やまうち ようどう / とよしげ)は、幕末の外様大名。土佐藩15代藩主(在任期間

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