高木 貞久(たかぎ さだひさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。美濃衆西高木家2代。

生涯

美濃国駒野城主・高木貞次の婿養子として家督を継ぐ。斎藤道三の家臣であり、西美濃三人衆の安藤守就に属した。後年、織田信長に従い、今尾城主に転出する。天正10年(1582年)本能寺の変後は織田信孝に仕えたが、翌年信孝も没すると駒野に隠居し、同年に死去した。

長男の貞家は父に先立って死去したが、その遺児の貞俊が北高木家、次男の貞利が西高木家、五男の貞友が東高木家と称して美濃衆を形成した。

系譜

  • 父:樋口三郎兵衛
  • 母:不詳
  • 正室:高木貞次の娘(-天正8年7月20日):法名は妙雲院殿月光受晴大姉
    • 長男:高木貞家(1545-1568):24歳時に戦死。法名は無心院貞家
    • 次男:高木貞利(1551-1603):長男が早世したため、家督を継ぐ
    • 三男:高木貞秀:のち前田家に仕える
    • 五男:高木貞友(1564-1659):美濃衆東高木家初代
  • 生母不詳
    • 四男:高木貞西
    • 長女:田中喜兵衛の妻
    • 次女:今尾氏の妻
  • 養子:高木貞俊:長男・高木貞家の息子。貞家が早世したためその父貞久の養子となる。美濃衆北高木家初代

出典

  • 『寛政重修諸家譜 巻第321』國民圖書、1923年、768-771頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/1082719/1/394。 
  • 笹本正治「高木三家」『国史大辞典』

高木貞宗

美濃北高木陣屋

高木貞宗

美濃北高木陣屋

高木貞宗