立花 種長(たちばな たねなが)は、筑後国三池藩の第2代藩主。
生涯
寛永2年(1625年)8月、初代藩主・立花種次の長男として生まれる。寛永7年(1630年)、父の死去により家督を継ぐ。寛永14年(1637年)の島原の乱では幼少のため、叔父の立花忠茂が代理として出陣している。
成長してからは藩政を取り仕切り、島原の乱後から行なわれた踏絵、宗門改めを強化した。さらに三代官制を五代官制に改めて農民統制を強化した(承応元年(1652年)に三代官制に再編)。その一方で家臣・平塚信昌を重用して早鐘地を築き、通水用の早鐘眼鏡橋(国の重要文化財)を架橋するなど、藩政の確立に尽力した。万治3年(1660年)、12月28日に従五位下、和泉守に叙任する。
天和2年(1682年)2月27日、長男・種明に家督を譲って隠居し、道運と号した。宝永8年(1711年)2月1日に三池で死去した。享年87。
系譜
子女は8男7女
父母
- 立花種次(父)
- 青樟院 ー 佐久間勝之の娘(母)
正室、継室
- 浄光院 ー 市橋長政の娘(正室)
- 高岳院 ー 小出吉英の四女(継室)
子女
- 立花種明(長男)生母は浄光院(正室)
- 立花種澄(次男)生母は浄光院(正室)
- 三原種義
- 立花種久
- 立花種要
- 立花正明
- 屋山宗之
- 玉泉院 ー 立花茂高室
- 屋山孟貞の養女




